天台宗 成田 薬王寺

お知らせ

薬王寺紹介

仏法山 文殊院 薬王寺(やくおうじ)

開山 善閑(ぜんかん)
中興十三世 圓住(えんじゅう)享保三年(1718年)
三月没

薬王寺は明治10年の災禍で古記録等一切を消失しており、
創立暦年月、寺伝等詳らかではないが、存在する碑文によると
十三世 圓住の没年は江戸中期(享保3年1718年)とされている。

天台宗 成田 薬王寺
天台宗 成田 薬王寺
天台宗 成田 薬王寺
天台宗 成田 薬王寺

一日のおわりの夕陽の時刻、お堂はこのような感じです。

天台宗 成田 薬王寺

御本尊

阿弥陀如来

観音・勢至菩薩を脇侍とする三尊形式

鎌倉初期の作と伝えられる。


阿弥陀如来は、安土桃山時代 天正18年(1590年)まで現成田市土屋にあった殿台城(とのだいじょう)城主 馬場伊勢守勝政(ばばいせのかみかつまさ)の護持佛であったもの。(成田市指定文化財説明文による)


※天正18年まで土屋にあったという殿台城の最後の年がはっきりしていることが気になります。
薬王寺をブログで取り上げてくださっているかなり詳しい方が、『NHKの大河ドラマ「軍師官米兵衛」に出てくる三木城主・別所長治が秀吉に攻められ、毛利からの援軍を得られずについに自刃した年が天正8年の年』と。時代のイメージがわきますが、そのころの土屋はどんな感じだったのでしょう。

地形から

成田の地形が1つの山から成っているとすると、西の山中腹に位置し、地名も寺谷津と称され、薬王寺から谷状に広がる地に檀家を擁したお寺です。
明治10年の災禍は、村全体から広がり、谷津状地形の山にも及び、残ったのは現在の山門両脇にある銀杏の樹2本のみだったそうです。その頃も今と変わらないくらいの樹の太さだったと当時を知るお年寄りからの言い伝えがありました。

また、薬王寺の東側は粘土質の竹林を背にした裏山になり、そこからは清水が湧く横付きの井戸や、山の苔の中には清水蟹が生息しています。
満月の翌朝早くの曇った日には戻り遅れた清水蟹に出会うことがあります。西に陽が沈むのを山門から刻々眺めることができます。
山の中腹にあるためか、静謐さに包まれ、風の音、水の流れる音を聴くことができるお寺です。

明治10年の災禍に遭うも残った銀杏の樹

古い資料から

薬王寺の古い資料から

「阿弥陀堂」明治10年以降に移築された本堂。

薬王寺の古い資料から

盆網。

薬王寺の古い資料から

お盆に檀家各家々を「六根清浄、六根清浄(ろっこんしょうじょう、ろっこんしょうじょう」と唱えて廻った。

薬王寺の古い資料から

盆網を担ぐのは各家の長男だったそうです。

薬王寺の古い資料から

盆網つくりの様子。

アクセス

宗教法人 天台宗 薬王寺

住所:千葉県成田市土屋8 TEL:0476-22-1341

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